« ルーン文字はなぜ現代まで生きのびたか? | トップページ | 北欧 ルーン石碑を訪ねる旅 »

2013年3月22日 (金)

ダブリンをつくったのは北欧ヴァイキング

Simg_8340

今日はあっちこっちに行って、いろいろな出会いがありました。

午後1時からは藤沢で、ケルトの研究家、木村正俊先生の「ケルト文明とゲルマン文明」講座を受けました。

回 ヨーロッパ魂のルーツ 
回 ケルト伝説とゲルマン伝説 
第3回 ケルト美術とゲルマン美術 
回 ケルト圏に残ったヴァイキングの足跡 
第5回 ケルト人とゲルマン人の心性 

今日が最終回でした。じつはいつも、木村先生からご指名を受けて、急きょ教壇に立つこともあったんです。たとえば北欧神話の話、宇宙樹ユグドラシルの詳細、ルーン文字について等々。

急に「はい、ちょっと説明してください」って言われるんだもん、抜き打ちで。

今日もドキドキしていたら、最後まで木村先生のマシンガン・トークで突き進み、私の出番はありませんでした。
ほ~っ

5回の授業が終わって、「ああ、わたしは正しかった」と胸をなでおろしたことがあります。

ケルト好きの日本人のほとんどが、ケルトといえばアイルランド!と答えますが、アイルランドという国は純粋なケルトではないという事実。

たとえば、首都ダブリンは北欧のヴァイキングが作った港湾都市なのです。

木村先生は「アイルランドでケルトを探すほうが難しい。北欧ヴァイキングが発展させた土地」とおっしゃいました。

北欧ヴァイキングは何度も言いますが、ルーン文字を使っていた人々ですね

アイルランドをケルトと結びつけて、あえて言うとしたら、“キリスト教とうまく融合したケルト”が残っている土地。

『古代ケルト聖なる樹の教え』という本を書いた私に時々、ケルト十字のアクセサリーをプレゼントしてくださることがあるのですが、嬉しいんですけど、「ケルト十字架はキリスト教なんだけどなあ。私が研究してるケルトとはかけ離れてるんだけどなあ」と心の中では思ったりします…。

ともかく、何が言いたいかというと、日本人がアイルランド=ケルトと思っている場所は北欧ヴァイキングが都市をつくりました。

とくにダブリンは交易の中心として発展したのです。

国を発展させる力のあった商人ヴァイキングが信じていた、ルーン文字の力を身につけませんか?

Simg_4232

 413日(土)~14日(日)船井メディア主催(那須高原 1泊2日宿泊型セミナー)
『杉原梨江子の人生で奇跡を起こすルーン文字講座
~神秘の古代文字を美しい森の中で解き明かす~』
セミナーの特徴1日目はルーン文字(ルーン・ツリー)を使って、自分の才能を高めたり、理想の未来を創りだす方法を伝授。2日目は森の中を散歩しながら、樹木の生命エネルギーを心身に取り入れていきます。詳細はこちら⇒ http://www.funaimedia.com/seminars/seminars_main.html?data_id=288

PhotoPhoto_3

テキストには拙著『古代北欧 ルーン占い』と『いちばんわかりやすい北欧神話』(ともに実業之日本社)をつかいます。アマゾンでご購入できます。 http://amzn.to/VIZ1mM






|

« ルーン文字はなぜ現代まで生きのびたか? | トップページ | 北欧 ルーン石碑を訪ねる旅 »

Celts ケルト」カテゴリの記事

Seminar セミナー・講演」カテゴリの記事

北欧」カテゴリの記事

コメント

リケアさま
お手紙をありがとうございます。
共感してくだって、とてもうれしいです
これからも遊びに来てくださいね。

投稿: 梨江子 | 2013年3月23日 (土) 07時19分

ヴァイキングに感謝です。
あんなに素敵な街をつくってくれて(*^-^)

そうなんです!
アイルランドの音楽が広まっていくにつれて、メディアや企業が”ケルト”と付けてしまいケルト=アイルランドのイメージが付いてしまいました(>_<)
アイルランドは単に島国で敵が来なかったので流れ着いたケルト人たちの色々なものが残っていただけでかなり短いんですよね?ローマ時代にはフランスのブルターニュ、スペインのガリシアのことをケルト人と言ってましたよね?

文字をもたなかったケルト人と北欧のルーン文字との関係、、、興味深いです!!!

投稿: リケア | 2013年3月22日 (金) 08時40分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ダブリンをつくったのは北欧ヴァイキング:

« ルーン文字はなぜ現代まで生きのびたか? | トップページ | 北欧 ルーン石碑を訪ねる旅 »