2015年夏、新しい出会い
今年、新しい出会いが次々と起きています。そんな中で、思いもかけない嬉しい出会いを一つ、紹介したいと思います。
始まりは、7月に出版した『被爆樹巡礼』の取材で、4月に長遠寺を訪ねた時のことです。アポもとらないで行き、被爆樹であるソテツの写真を撮らせていただいたところ、「被爆前のソテツの写真があるから、どうぞ中に入って」と声をかけてくださったのが、前住職のNagasakiさん。被爆瓦なども見せてくださり、被爆当時のことについて、丁寧に説明してくださいました。
「長遠寺のソテツ」Jhoonji-Temple
(ソテツ科・常緑高木)
爆心地からの距離:800メートル
所在地:広島市中区大手町3-10-6
樹齢:約300年
樹高:2メートル 幹周り:0.9メートル
そして5月、あらためて伺った時は戦前の詳細から、核の平和利用の問題まで、多岐に渡って、「原爆」について教えてくださったのです。その時、見せてくださったのが、NHKドキュメンタリー番組『ヒロシマ 爆心地の原子力平和利用博覧会』(2014年10月18日放送)でした。
そこには可愛いアメリカ人の少女が映し出されていました。原爆投下後、最初のアメリカ人外交官の娘として、1953年6歳の時、来日し、4年間を日本で暮らした女性、Faridaさんです。Nagasakiさんとは同級生で、子供時代に一緒に遊んだことや、大人になって来日し、クラス会で会った時のことなどを懐かしそうに話してくださいました。
しかし、ドキュメンタリーの内容は衝撃的なものでした。
あなたは、広島平和記念資料館から、被爆の遺品や資料が消えた時期があるのをご存じですか。ぼろきれのようになった学生服やワンピース、8時15分で止まった懐中時計、溶けたガラス瓶等々、原爆犠牲者や遺族が託した大切な遺品です。原爆投下の傷痕がまだ癒えない1956年5月27日から3週間、一時的に館外に移されて、「原子力平和利用博覧会」が開催されました。当時の1年間の来館者に相当する約11万人が訪れ、原子力エネルギーがもたらす未来に多くの人が期待を抱きました。1955年、日比谷公園内の東京会場をスタートに京都、大阪、福岡など全国11都市を巡回する中で、被爆地ヒロシマでの開催はアメリカにとって必須だったのです。核廃絶への願いが大きかった広島での博覧会開催を推し進めていったのがファリダさんのお父さんでした。映像を見ながら、私の瞳に吸い込まれていく、今まで見たことのない事実。
原子力の平和利用の推進/6歳のアメリカ人少女/広島平和記念資料館から被爆遺品が消えた日/着物姿の無邪気な笑顔/原子力平和利用博覧会/少女が描いた絵本/核の恐怖を取り除く/原子力エネルギーによる明るい未来……。
そのドキュメンタリーで流れる映像から、ヒロシマからフクシマへとつながる理由を垣間見たようで、私の胸の奥に突き刺さりました。しかし、5月頃の私は「被爆樹」の取材に専念しなければならず、心の片隅に追いやったまま、本づくりに没入していきました。
「大人になったこの女の子に会ってみたい、話を聴いてみたい」そんな思いが漠然と心に残りました。そして、原爆から蘇った木の本が完成して、8月。新たな気持ちで向かったヒロシマで、その女性と出会うこととなるのです。
紀伊國屋書店の広島支店へ、「拙著『被爆樹巡礼』をよろしくお願いします」と店長の長谷川さんにご挨拶に行った時のことです。ちょうど、その女性も出版したばかりの本『炭のかんちゃん アメリカ人少女のヒロシマ物語』の宣伝活動にいらしていて、引き合わせてくださいました。
Faridaさんは祖国アメリカが広島に原爆を落としたことに心を痛め、7歳の時、『すみのかんちゃん』という絵本を描いています。カシの木のお母さんと子供が伐り倒され、火に焼かれ、炭になっていくまでを描いた物語です。そのベースにあるのは、原爆で焼き尽くされたヒロシマの街と傷ついた人々への思い。中国新聞(8月28日付朝刊)のインタビューによると、この本は「昨年、ロサンゼルスの自宅に母が保管していた資料の中から、60年ぶりに見つけた。「火に包まれるイメージは、明らかに原爆の印象を反映している。子どもながらに抱いた米国人としての罪の意識が書かせたのだろう」と話しています。
Faridaさんが日本で暮らし始めた時、彼女のことを大切にしてくれたのは被爆した隣家のおばさんのご家族、被爆による傷が目元に残る2つ年上の女の子とその弟さん、クラスメートたちでした。「私の国、アメリカは日本人のあなたたちにひどいことをしたのに、どうして私にこんなに親切にしてくれるの?」といつも苦しい思いを胸に抱いていたそうです。
戦後70年経って、Faridaさんは福島原発事故に寄せて、こんなメッセージを著書の中で書いています。
「福島の災害は、「原子力平和利用博覧会」を広島で開催することに関わった自分の家族のことを思い起こしました。1950年代の空気は、世界を変えるために科学の力を信じ、未来に向かって前進しようと原子力の未来をあまりに楽観視する時代でした。もしも、あの時、われわれが本気で代替エネルギーを検討していたならば。太陽や海や風にエネルギーが変わっていたかもしれない。正しく利用されることができるなら原子力でさえ異なる結果があったかもしれない。新技術への投資は必要ですが、原子力に関しては果たして安全を保つことができるでしょうか? そうでなければ、ドアのすぐそばにゴジラがひそんでいますよ」(著書より抜粋)
※ゴジラとは?…1954年の第五福竜丸事件。アメリカのビキニ環礁の水爆実験により23人の漁師が被爆しました。その6ヶ月後、反核メッセージが込められたゴジラ映画が全国上映開始。そこに登場するゴジラのこと。Faridaさんは、ゴジラは「核の被害者であると同時に加害者であるという二重性を背負わされた悲しい存在の怪獣」と書いています。
出会った日、私とFaridaさんとはお互いの本を交換し合い、彼女の本の裏表紙には「Sugihara san Kokoro o tsunagu Kakehasi Ni!」と書いてくださいました。8月6日にも平和記念式典も少しの時間、一緒に過ごしました。平和記念資料館のそばに立つ“被爆樹アオギリ”の前で、幹に原爆の傷痕が残っているところを見ていただき、原爆から蘇った木がたくさんあることも伝えました。
「広島平和記念公園のアオギリ」
(アオイ科・落葉高木)
爆心地からの距離:1,300メートル
所在地:広島市中区中島町1
樹齢:70年以上
樹高:8メートル 幹周り:1.01メートル
偶然の出会いでしたが、Faridaさんとの対話を通して、核のない世界をともに考えていきたいと思います。
8月も過ぎ、新聞、テレビ等の「戦後70年」特集も消えていく、秋。これを読んでくださった皆さまにあらためて、原爆の恐ろしさ、核による被害の残酷さ、平和への願いを考えるきっかけになれば嬉しく思います。
Faridaさんの本『炭のかんちゃん アメリカ人少女のヒロシマ物語』を手にとって読んでみてください。
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