« 被爆樹巡礼 in Nagasaki | トップページ | 2017夏「原爆から蘇ったヒロシマの木」展のお知らせ »

2017年7月 6日 (木)

原爆を伝えてきた若き人の死に思う

7月3日、広島のバー「Bar swallowtail」のオーナー、冨恵洋次郎さんが亡くなったことを知りました。

享年37歳。

毎月6日、「原爆の語り部の日」として、バーに被爆者の方を呼び、当時のことを話していただく会を開催なさっていました。

今日、7月6日で140回を迎えるそうです。

いつかきっと、冨恵さんに会いに行きたいと思っていました。叶いませんでした。

約10年前に冨恵さんが始められた、原爆を伝える小さな一歩。

被爆者の方が生きていらっしゃるかぎり、続けていってほしいなと思います。

会いたい人にはすぐに会いに行かなくてはならない、その思いを強くしたさよならでした。

そして、被爆者の方よりも、原爆を知らない私たちが先に死ぬことがあるということを考えざるを得ませんでした。

バーのFacebookに「志半ばにして、旅立ってしまいました」と書かれてありました。

“志半ば”で、死にたくない。

私の志とは、被爆樹Atomic Bomebed Treesを、世界中の人に知っていただくことです。

原爆投下後に木々が芽生えた、ただ、その事実を伝えるだけではない。

あのヒロシマの焼け野原で芽吹いた、再生した、人々に生きる力と希望を与えました・・・という、命の再生、復興の象徴として、伝えることに終わってはいけない。木を植えるだけでは伝わらない。

大事なことは、木のそばで何が起こったか? 

被爆を体験した人たちの声に耳を澄ますこと、知らない人に届けること、被爆証言を伝え続けることです。

多くの人が殺された、多くの人が大切な家族を失った、そして、今も苦しんでいる方が大勢いらっしゃる。

直接、原爆を体験していない人間も、被爆の影響を思わせ、死んでいる。

私の従兄、被爆二世の宏治兄ちゃんは戦後約50年も経って、ガンになった。本川小学校で教師をしていた宏治兄ちゃんは、授業の後、血を吐いて倒れ、その3か月後に死んだ。主治医が「転移が早すぎる、調査したいので死体解剖させてくれ」と言った。家族は「原爆の影響」を考え、承知した。結果は「わからない(ガンの原因も転移が早すぎる理由も)」だった。

医者は「親の被爆の影響とはいえない」というが、本当にそうか?

そのことも、伝えなくてはならない。検証していかなくてはならない。

戦後に生まれ、今、この時代に生きている者ができることが、ある。

小さな小さな一歩であっても、私は続けていくことを、冨恵さんに約束します。

冨恵洋次郎さんのご冥福をお祈りいたします。

|

« 被爆樹巡礼 in Nagasaki | トップページ | 2017夏「原爆から蘇ったヒロシマの木」展のお知らせ »

Atomic Bombed Trees」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1168036/71062715

この記事へのトラックバック一覧です: 原爆を伝えてきた若き人の死に思う:

« 被爆樹巡礼 in Nagasaki | トップページ | 2017夏「原爆から蘇ったヒロシマの木」展のお知らせ »