東京で広島原爆を学ぶ勉強会で出会ったカメラマン、能勢広さんの展覧会に行ってきた。正確に言うと、準備中のギャラリーへ。明日8月5日から、能勢さんのおじいさん、原爆映像を撮ったカメラマン鈴木喜代治さんのドキュメンタリー映画が上映される。と同時に、鈴木さんの残した撮影メモがパネル展示される。
●タイトル;記録映画「広島原爆 魂の撮影メモ〜ある映画カメラマン鈴木喜代治が記した広島〜」
●日時;8月5日(土)から9日(水)11時〜18時、映画は全3回。
●場所;アートギャラリー884(お茶の水駅から徒歩10分。文京区本郷3ー4ー3 ヒルズ884 お茶の水ビル1F)
鈴木さんは、1945年9月から学術調査団に同行した日本映画社の撮影カメラマンとして、広島に入られた。私にとって、何に興味惹かれるかというと、鈴木さんのチームは生物班(植物班)である。撮影メモにはどんな植物を発見したか、植物の様子が細かく描いてあった。被爆後のマツ、ハギ、ヒマ、エノコログサ(ネコジャラシ)など。
じつは、この原爆映像を、私は2016年初春に見ている。被爆直後の「被爆樹」の様子を知りたいと思い、日映映像(当時は日本映画社)の東京支社長Y氏のご好意で映像を見せてiいただいた。熱線の跡を残すヒイラギ、奇形となったヤツデなどを興味深く見ていたのだが、それを撮影した人と巡り会うとは! なんという幸せなご縁。原爆映像を撮影者がどんな人か、あまり考えたことがなかったが、能勢さんとの出会いで知ることができた。ほとんどのカメラマンが映像フィルムしか残していない中で、能勢さんのおじいさんは詳細な「撮影メモ」を残されていることが、当時を知る手掛かりとして、非常に重要なものとなっている。
このパネル展示では、小さな一冊の撮影メモが大きく引き伸ばされ、読みやすい形で展示でされている。
被爆樹の取材を初めて以来、「いつ、芽は出てきたのか?」広島の人々に問いかけてきた。爆心地でそれに答えてくれる人はいない。撮影メモはその疑問にヒントをくれるかもしれない。
植物班、医学班、物理班が撮影した原爆映像は1946年、米国に没収された。長い歳月を経て、20年後の1967年に複製が日本に返還された。ただし、ナレーションも字幕もすべて英語で編集され、日本独自の調査とは言えないものとなっていたため、「幻の原爆映画」と呼ばれる。現在、DVDで販売されているものは米国の解説文を翻訳したものである。
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