フクシマに来た
いわきにいる。明日は福島原発の見学会に参加する。
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2011年3月11日 東日本大震災から5年が経ちました。
犠牲となられた方々へ追悼の意を捧げます。
東北から遠く離れた自分に何ができるのだろう。どんな言葉が伝えられるのだろう。考え続けても、明確な答えはでません。それでも、遠ざからないで、今からできることを伝え続けていきたいと思います。
整体師のSさんをリーダーに、整体ボランティアを続けていきます。
南三陸・歌津地区の仮設住宅にて。
福島県・大玉村の仮設住宅で、健康体操&整体マッサージ。(共通の黄色いTシャツはボランティアグループ・チーム天真)
そして今、放射線被ばくについての勉強会に参加しています。放射線の木々への影響についても取材を続けていきます。
原爆と原発は表裏一体。ヒロシマ取材を続ける私が伝えられることは何か? 今はまだ模索していますが、ヒロシマからフクシマへ、これから発信していきます。
福島県双葉郡広野町 原発からの距離23.3km
津波の跡が残る町で、いつもの春と変わらず、花は咲いていました。(当時、緊急時避難準備区域。2011年4月15日撮影)
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保養施設は全国で広がっていますが、こんな状況もあるようです。 福島っ子の保養キャンプ、先細り 事故から5年、寄付減り活動中止も http://kodomozenkoku-news.blogspot.jp/2015/12/blog-post.html photo : in Hirono-cho,Fukushima 2011.4.15Shooting by R,Sugihara
2月28日(日)「保養のこれからを考える会」が開催されました。
参加できませんでしたが、Eさんが勉強会の様子を知らせてくださいました。ありがとうございます。
福島の子供たちのための保養施設って、知っていますか?
放射線に汚染された土地に暮らす子供たちは、汚染されていない環境で過ごすことで、体内の放射性物質を減らすことができるとされています。山や海など屋外でのびのびと、元気いっぱいに過ごすことで、ストレスから解放され、免疫力が高まり、病気になりにくい体をつくることができると考えられています。
ジャーナリスト広河隆一さんの呼びかけでスタートした「沖縄・球美の里」の様子をご覧ください。http://www.kuminosato.com/
こちらは朝日記事より
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↑福島県大玉村・仮設住宅での整体ボランティアの様子。2年前くらい。
先週の日曜日2月14日、放射線被ばくを学習する会に参加しました。
第27回被爆学習会「3.11あのとき、双葉町でなにが起こったか」
【詳細はこちらをご覧ください】
講師は前双葉町長の井戸川克隆さん。
2011年3月11日、全町避難を自主的に実施されたことを、事故4カ月前の防災訓練にさかのぼり、話してくださいました。
“住民を護る”ために政府・県が約束していた防災計画が訓練どおりに実施されず無視されていった経過、原子力災害対策本部に事故当時も現在も当事者である町が排除された状態であること、放射線被ばくの実態など。
いちばん心にこたえたのは「ボランティアでも福島県に行かないでください」という言葉。
「あなたたちがフクシマに入るから安全だと思ってしまう。しかし、被ばく線量は今も高い」と。
現在も危険地域だということを皆が自覚し続けることが大事だと。
整体ボランティアに時々行っている話をすると、仮設住宅の地域でも「行かないでほしい」と井戸川さんはおっしゃった。そこに行くことは結果的にフクシマの人々、子供たちを苦しめることになるという考えは衝撃的で、放射線被ばくの問題の根の深さを感じました。
井戸川さんの他にも発表があり、原爆投下後から原発開発への歴史、福島県原子力防災訓練の実態(2011年11月25、26日実施)、双葉厚生病院など避難指示が届かなかった病院での患者の死の実態等、様々な視点からの報告が行われました。
東日本大震災から5年。時々、福島に整体ボランティアに行きながら、ほとんど何も知らなかったなと実感しています。こういう勉強会にはこれからも参加したいと思います。
☆上写真:大玉村・仮設住宅の集会所にて。整体ボランティアでは午前中、健康体操。午後は布団を敷いて、整体&マッサージ。以前は仮設住宅ができたばかりの頃から月2回、整体のうまい(?)友人グループ「チーム天真」で定期的に行っていましたが、資金も途絶え、人数も減り、数カ月に1~2度、都合がつく人が集まったときだけ行くようになりました。
☆下写真:大玉村・仮設住宅のそばに建てられた復興住宅。入居は抽選だそう。
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日曜日、映画を見に行きました。
「DAYS JAPAN」の元編集長、フォトジャーナリストの広河隆一さんのドキュメンタリー映画『広河隆一 人間の戦場』です。
上映後、広河さんと監督の長谷川三郎さんのトークショーがありました。
質疑応答の時間があったので、私は原爆と原発とが表裏一体であり、その被害の共通点を発信することについて、日ごろ疑問に思っていることについて質問しました。
広河さんは丁寧に答えてくださいました。
ありがとうございました。発信する勇気が湧いてきました。
I went to see the movie“Human battlefield ”. It is a documentary film about Mr.Ryuichi Hirokawa.He is the
photojournalist in Japan. After the movie
was over, it has the talk show of Mr.Hirokawa and the movie director. I heard
about the coverage of
the atomic bombs in Hiroshima and the Nuclear Power Plant Accident in
Fukushima. He answered carefully.
I söndags,jag gick på bion i
oomori. Det är en
dokumentärfilm av fotojournalist.
ドキュメンタリー映画『広河隆一 人間の戦場』
監督:長谷川三郎 撮影:山崎裕
キネカ大森にて2月12日まで。日本全国上映。
【公式サイトはこちら
http://www.ningen-no-senjyo.com/】
photo : Tomioka station in Fukushima (September,2014)
.
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2015年1月24日(日)
「小林和彦さん 反核兵器反原発ドイツ講演報告会」に参加しました。
場所:神奈川県民サポートセンター
参加者のお一人がライブのように報告していました。
こちら→ http://togetter.com/li/929629
私の感想はまたあらためて書きます。
photo: Ookuma-machi in Fukushima (September,2014)
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新しい本を出版しました。
『被爆樹巡礼~原爆から蘇ったヒロシマの木と証言者の記憶』
(実業之日本社刊)
http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-00881-3
原爆ドームから歩いて5分ほど、相生橋のすぐそばに一本のシダレヤナギが立っています。爆心地からわずか370メートルで被爆し、一瞬にして幹のほとんどを失いながら、翌年の春に芽を吹き返した木です。今はなにごともなかったように揺れています。
1945年8月6日8時15分、原爆が投下されました。
爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線、すさまじい爆風、さらに猛火が、生身の人間に襲いかかりました。
その年の12月末までに約14万人の人が亡くなったとされています。
辺り一面、焦土と化したヒロシマの街。
「七十五年間、草木も生えない」と言われた大地で、芽を吹き返した木々がありました。
クスノキ、イチョウ、サクラ、ツバキ、ソテツ、アオギリ……。
爆心地からおよそ2キロ以内で被爆し、再び芽吹いた木々を広島市は「被爆樹木」として登録しています。
58か所で被爆し、今も生き続けている約170本を訪ねて撮影し、被爆を体験なさった方々、所有者の方々にお話を聴いてまとめました。
一樹一樹に物語がありました。木々たちの無言の証言をお聴きください。
この一冊があなたの心の中に、新しい“平和の種”を蒔く、きっかけになればうれしく思います。
青少年センター西側のシダレヤナギ。爆心地から約370メートルで被爆。拙著P8~11掲載。
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大悲山(だいひざん)の大杉
(県指定天然記念物)
所在地/福島県南相馬市小高区泉沢
樹種/スギ(ヒノキ科)
樹齢/約1100年
樹高/約45メートル
幹周り/約8.6メートル(2014年10月現在)
今回の「FUKUSHIMA巨樹めぐり」の目的はこの大杉!
原発事故で通行規制されていた福島県内の国道6号線の二葉町~富岡町間が、2014年9月15日、全線開通し、自由に通行が可能になったので、南相馬の「大悲山の大杉」まで行けると思ったからです。震災半年後は行けませんでした。
じつはこの日も、浪江町側からでは途中で道が封鎖、国道6号線に引き返すことに。もしや会えないのでは!?と心配しましたが、ちゃんと行けました。ここまで来るにも何度か検問を通って進んできたのです。会えて、よかった
圧倒的な生命エネルギー! ここに来るまで、不思議な匂いが町の中でしていました。青くさいような、葉っぱのような。鼻のいい友人が、この神社に到着するなり、「この匂いだ!」と大杉をくんくん。樹齢1100年のスギの香は町じゅうに漂っていたんですね。
生命エネルギーに満ちているところを通ってきた私たち……。
地上3メートルのところで、枝が数本にわかれ、まるで、それ自体が生き物のようで、触手が動いているみたい。宮崎駿監督の映画に出てくるオームのよう!?
古い立て看板にはこんなふうに書かれてありました。
「霊木
樹令 壱千百余年
大悲山の大杉
古くからお百度巡は
特に縁結 安産
長寿満足に
霊験あり
大悲山慈徳寺」
生きてる。あたりまえだけど、今にも動き出しそうで、神が意志をもって、スギの姿として現れたのだと思いました。
薬師堂には石仏さまが並んでいらっしゃいました。この磨崖仏群は岩にそのまま彫られ、そこに社殿が建てられていたのです!
ここを訪れるほとんどの人がこの石仏様を見にいらっしゃるのだろうけど、私たちは「大杉」が目的だったので、岩に掘られたまんまの石仏様を見たときは、ぎょっ、びっくりっ、感動
人間がつくったものとはすぐには信じられませんでした。
小さな石仏さまも岩壁に。お百度巡りの石仏様もここに(写真中央あたりの石)。
奥の社殿前には夫婦杉も立っています。
根元には、瞑想にちょうどいい形の石があって、とにかく座り心地がいいのよ~
ほんの少し色づき始めたモミジも素敵。
エリンギ岩。
ご近所の方でしょうか、杖をついたおばあちゃん。大杉をしばらくの間、見上げていらっしゃいました。
ああ、立ち去りがたい。
じつはこの大杉のとなりにも、1本立っていました。最初は「2本も大きい杉が一緒に立っててすごいなあ」と両方を一緒に見ていたのですが、だんだんと、大杉のエネルギーに圧倒され、「となりと一緒にするなよ~」という気が伝わってきました。
大杉の“想い”というか、“語りかけ”のような、言葉にならない何かが……。
帰る頃にははっきりと、「大悲山の大杉」こそ神宿る樹であり、他の杉とは別格の存在なのだ、ということがわかってきました。
それは、大杉が教えてくれたのです。
最後にしっかりと手を合わせ、さよならを言いました。
すばらしい出会いに感謝して。そして、ここまで一緒についてきてくれた相棒にも、ありがとう
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1945年8月6日、8時15分、原爆投下。
ユーカリは一瞬のうちに焼かれ、その姿を失いました。しかし翌年の春、わずかに残っていた根元から小さな芽を出し、人々の生きる力となりました。
数年前から故郷・広島のA-Bombed Trees被爆樹の写真を撮るようになりました。
原爆投下後、跡形もなく消えたのに、翌年の春、大地から芽を出した木もあります。当時の傷跡を残す木もあれば、被爆したとは思えない生命力あふれる木もあります。A-Bombed Treesの現在の姿を見てください。
クスノキ、ユーカリ、アオギリ、ニワウルシ……。
そして、HIROSHIMAからFUKUSHIMAへのメッセージ。
連載エッセイ@nifty新おとなの学び場
「杉原梨江子の聖樹巡礼~巨樹が語る、森の知恵」
第4回“A-Bombed trees祈りの樹”配信中
http://otomana.nifty.com/authors/rieko/
★写真は広島城のユーカリの木。樹齢約100年。爆心地から740メートル
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Tree of Heart for you.
いつまでも……。
何が起ころうと 光を目指して 歩いていこう。
福島県新地町「白幡のイチョウ」
樹齢約240年 樹高23m/幹周り3.8m
photo by Rieko September 2011
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