Atomic Bombed Trees

2019年11月19日 (火)

平和授業のごほうび

11月初め、都内の某小学校の学習発表会に招待していただきました。同校では6年生を対象に、2017年からゲスト・ティーチャーとして、平和授業をさせていただいていています。先生方から「6年生が「戦争と平和」をテーマに発表するので、ぜひみんなの成果を聴きに来てください」とお誘いを受けました。

朝、1年生から始まり、6年生まで全員参加で舞台発表。各学年、持ち時間は約25分。全学年、通しで見学しました。子どもたち自らが考えたセリフ、舞台の展開、ビジュアル、音楽(うまいっ!)、ダンス(才能あるコ見つけた!)など、思いもかけない工夫とアイデアが続々で見ごたえありました。

6年生の発表が始まると、「僕たちが平和をテーマに選んだのは、杉原さんの授業がきっかけです」と自分の名前が出てきて、びっくりです。7月、「被爆樹木(原爆を生きのびた木)」をテーマにお話しさせていただいたことが心に残り、学習のテーマが思い浮かんできたそう。「原爆のことを知ろう」「戦争はどうして起きたの?」「戦時中はどんな暮らしだったの?」「私たちが住む地域はどうだったの?」など疑問が湧いてきて、11人が自分のテーマを1つ決めて、調べ学習を行う。同様のテーマで調べた子供たちがグループを作ってさらにテーマを深め、全体の舞台構成を考え、今回の学習発表が完成したそうです。しかも先生たちの指示はほとんどなく、子供たちだけで完成させたとか。先生方も「直すところがほとんどなかった」と言うくらいの優秀作品に仕上がっていました。

東京の子供たちからすると、広島、長崎はあまりに遠い。原爆はさらに遠い。それをどうやって、「知りたい」に変えるか、身近なこととして考えてもらえるか、試行錯誤を繰り返しながらの平和授業。こうして、子どもたちがテーマに取り上げていただいたのは、私の思いが伝わったようで本当に嬉しいです。

貴重な機会でした。これから6年生は受験シーズンに突入です。原爆や戦争の話はしばらく忘れてしまうかもしれません。それでも、大人になったとき、小学校の思い出としてこの学習発表会が蘇り、あらためて戦争、原爆、平和について考えるきっかけになればいいなと思います。

そうそう、6年生だけでなく他学年もすばらしかったんです。1年生、2年生、4年生は絵本を使った発表、3年生は植物観察や蚕(かいこ)の飼育、社会見学などを通して学んだことを発表、5年生はクイズ形式の学習発表と楽器の演奏など。1年生の声がいちばん大きかったのが意外のような、聞いているこちらが元気になるほどでした。

ありがとうございました!

 

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2019年2月18日 (月)

2019.2.16報告「江戸川区・語り部カフェ」で講演しました

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【被爆樹木に関する講演の報告】

第11回「江戸川・原爆語り部カフェ」

日時:216() 14 時〜15 30
所:レストラン伊太利庵(江戸川区中葛西)


月1度、江戸川区のレストランで開催されている、被爆体験を聴く会に呼んでいただきました。主催は光文社の編集者、K.Murataさん。「原爆の話をもっと聞きたいと思っても、聞く場がないのが現状です。ちゃぶ台を囲む感じで、当時の話を聞いてみませんか?」という呼びかけのもと、20184月にスタートした江戸川区・語り部カフェ。第1部では被爆証言、第2部では原爆について知るミニ講座という2部構成。私は後半30分、「被爆樹木」について話す機会をいただきました。

東京近県で話をすると、「被爆樹木」を知っている人は約3040人のうち1人か2人、全くご存じない方や原爆に関心のない方も多いので、「被爆樹木とは何か?」を話す前に、「原爆とは何か、どんな状況になったのか、放射線を浴びるとどうなるのか」などを話してから木々の話にいきますが、今回は前半で伝承者の方が丁寧に話してくださったので、被爆樹木の話に進みました。代表的な広島城のユーカリ、長崎・山王神社のクスノキの被爆直後と現在の写真をご覧いただき、最も伝えたい「その木の下で何が起こったのか!?」これは木が立つ場所の被爆当時を描いた原爆の絵を用いながら、また、木の所有者である被爆者の方々から聴いた体験を伝えました

「あの焼け野原で芽が出たんだ、すごいね」だけではすまされない、熱線や爆風で傷ついた「被爆樹木」の姿から伝えるべきことを、私は語れたのだろうか?いつも悩みますが、何人かの参加者からエールをいただきました。小学校教諭の男性には「子どもたちにどう戦争・原爆を伝えるか迷ってばかりです。木をテーマに被爆体験を語るのは子どもたちに伝わりやすいかもしれない」と背中を押す言葉をいただきました。

私の前に話されたのは、戦争体験の伝承者、Iさん。いつもの語り部カフェでは被爆者が自ら被爆証言されるのですが、今回は若い女性、Iさんが平田忠道さん(1930 年生まれ・広島で被爆)の被爆体験を語られました。「伝承者」は原爆を経験していません。体験者から話を聞き取り、話し方や朗読技術などの研修を受けて、被爆者の被爆体験を話します。Iさんは国立市が立ち上げた「くにたち原爆・戦争体験伝承者育成プロジェクト」で勉強をなさった方。

戦争、原爆を知らない私たちがどう伝承し、発信していくのか、参考になりました。

語り部カフェのあと、歩いて3分ほどの公園へ、江戸川原爆犠牲者追悼碑にみなさんとお参りしました。ここには被爆アオギリ2世が立っているのです。このアオギリについてはまたの機会に報告します。

主催のMurataさんは『カウンターの向こうの86日』をつくられた編集者さん。著者は広島のバー、スワロウテイルで毎月6日、「被爆体験者の証言の会(語り部の会)」を続けられた冨恵洋次郎さん。この本の出版前に、肺がんにより37歳で亡くなられました。スワロウテイルでの語り部の会は今も続き、Murataさんは東京で、冨恵さんの意思を継ぐように語り部カフェを始められたのです。これからも毎月、葛西駅から徒歩5分のイタリアンで続けられます。私もまた聴きに行きたいと思います。

 

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2018年12月 1日 (土)

2018.11.30大田区立雪谷小学校で平和授業しました

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30日、大田区雪谷小学校6年生3クラスのみなさんに、「被爆樹木―原爆を生きのびたヒロシマの木」をテーマに平和授業をしました。

学校司書のMurayamaさんから、「ゲスト・ティーチャーとして、原爆について話してくれませんか?」と声をかけていただき、2016年、2017年と続き、3回目になります。

9月、みなさんは国語の授業で、『平和のとりでを築く』(筆者:大牟田稔氏)を読み、原爆ドームについて勉強しています。受験シーズンを前に、戦争、原爆について考えることを忘れないでほしいという先生方の願いから、呼んでいただいた平和学習の時間です。

日程:20181130日(金)
時間:4時限目 1130分~1215
場所:大田区立雪谷小学校・多目的室

※詳しい報告は杉原梨江子オフィシャルサイトをご覧ください。
http://rieko-sugihara.com/information/20181130ABT_Yukigaya-shou3.html

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6年1組のみなさんが書いてくださった歓迎メッセージ。給食を一緒にいただきました。

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2018年8月 6日 (月)

2018年8月末まで 展示「原爆を生きのびた木、咲いた花」in 日比谷図書文化館

「原爆を伝える2018-原爆を生きのびた木、咲いた花」
▼会期:717日(火)~831日(木)
▼場所:千代田区立日比谷図書文化館 3階図書フロア
(千代田区日比谷公園1-4(最寄り駅:霞が関、内幸町)
▼写真・解説:杉原梨江子
▼無料
内容
194510月、アサガオの花が咲いた
・被爆後の植物の状態、斑入りのフジバカマ
・「原爆の絵」と木
・被爆者が語る木
・絵本『おこりじぞう』最後の1枚 etc.

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併設展示
「詩画人・四國五郎が伝えたかったこと」
同館で85日に開催された、講演会に関連する書籍を展示。息子、光さんのお話と、女優・木内みどりさんによる絵本『おこりじぞう』朗読。こちらの展示も合わせて、ご覧ください

 





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2018.8.6『絵本おこりじぞう』最後の1枚に描かれた白い花

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詩画人・四國五郎さんの『絵本おこりじぞう』

最後の1枚に白い花が描かれています。

四國さんはどんな思いでこの1枚を描かれたのでしょうか。

息子・光さんと、絵本を企画した当時の担当編集者、斎藤雅一さん(金の星社会長)からのメッセージをパネル展示しました。

被爆樹木の写真と合わせて、どうぞご覧ください。

「原爆を伝える2018-原爆を生きのびた木、咲いた花」
▼会期:717日(火)~831日(木)
▼場所:千代田区立日比谷図書文化館 3階図書フロア
(千代田区日比谷公園1-4(最寄り駅:霞が関、内幸町)
▼写真・解説:杉原梨江子
▼無料

併設展示「詩画人・四國五郎が伝えたかったこと」

 

 




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8月6日8時15分、原爆が落とされた日

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2018年8月6日8時15分。

73年前、被爆した叔父は90歳になりました。ガンと闘いながら、被爆証言を続けています。

原爆を直接知らない世代がしっかりと被爆者の声を聴き、伝えていくこと。

「核」を使うことを決して許さないこと。

戦争へ向かおうとする人々、世論を許さない、と言い続けること。

それは勇気のいることですが続けていきます。

人間が残酷に焼き尽くされた大地で、再び芽吹いた木のいのちを通して。

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広島平和大通り、白神社前のムクノキ。爆心地からの距離530メートル



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2018年7月31日 (火)

2018.7.31ニュース「被爆樹木の保存、国が補助」

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今日、「被爆木樹」に関する嬉しいニュースがありました。広島・長崎の被爆樹木の保存、国が補助することを検討、8月6日、安倍首相が広島で表明する予定と共同通信から配信されました。

被爆樹木のことを多くの人に知っていただく機会になるのではと期待しています。


詳細:中国新聞7月31日付
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=85017

★写真:広島市登録の被爆樹木「善正寺のサルスベリ」

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2018年4月 4日 (水)

被爆桜めぐり2018 in ヒロシマ

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公式サイトで、被爆桜(ひばくざくら)を紹介しました

№51安田学園のソメイヨシノ

http://rieko-sugihara.com/photo_essay/j_tree/hiroshima/51_Sakura%20inYasuda%20Gakuen.html

大切なことが書かれた紹介文です。ぜひご一読ください。

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2018年2月28日 (水)

2018.2科学ジャーナリスト塾 作品発表のお知らせ

2017年9月から2月中旬まで半年間通った「科学ジャーナリスト塾」。全10回のカリキュラムの後半、文章チームとプレゼンチームに分かれて作品を制作しました。炎の文章教室を経て完成した原稿が「日本科学ジャーナリスト会議」のホームページに掲載されています。ご一読ください。

第16期科学ジャーナリスト塾 
・塾長:室山哲也氏(NHK解説委員)
・塾生:13名
・場所:プレスセンタービル8階 特別会議室
・主催:JASTJ日本科学ジャーナリスト会議

<作品発表はこちらから>
タイトル
「禎子さんのエノキ~原爆を生きのびた木の使命」
(取材:放射線医学総合研究所・福島復興支援本部)

日本科学技術ジャーナリスト会議ホームページ
http://jastj.jp/tcsj  

※私の原稿は文章チームの2番目に登場します。半年間の塾の様子、学んだ内容なども掲載されています。全体写真は黄色いセーターが私。

この度入塾したのは、「なぜ、被爆樹は蘇ることができたのか?」を科学的に検証し、発信したいと思ったからです。作品原稿はこの視点からは少し離れましたが、放射線の木々への影響について取材し、まとめました。

プレゼンチームの2番目の作品「放射線治療を切り開く炭素イオン」は私も一緒に取材したので、映像に結構映っています。ガン治療の最先端「炭素イオン線治療」について。体へのダメージが少ない放射線治療として注目を浴びている方法をわかりやすく解説してあります。こちらもぜひご覧ください。

科学ジャーナリスト塾に通って何よりよかったのは、科学の現場で仕事をしている人たちと知り合えたこと。文系は私1人。彼ら、彼女らの質問の仕方、企画の発想など、とても勉強になりました。また今年も入塾したいと考えているところ♪

 

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2017年12月11日 (月)

2017.12.10被爆樹木を伝えることの難しさ

原爆を生きのびたヒロシマの木-「被爆樹木」について話す機会が増えた。しかし、話すたびに不安になる。伝わっているのだろうか。少しは興味をもっていただけただろうか。昨日もまた、不安でいっぱいのまま、家に戻ることになった。

今回は自分からのアプローチでなく、写真家の浅見俊哉さんからお誘いいただいた。アートを仕事にする人々の集まり<SMFアート井戸端会議>である。イベントのタイトルが「被爆樹木について 今について 未来について 語ろう」というものだった。だから、全く興味のない人はいないだろうし、「被爆樹木」について知りたいと思ってくださる方がいらっしゃるだろうと期待したが、どうもそうではないらしかった。

浅見さんは被爆樹木の「影」を撮り続けるアーティストだ。ヒロシマの影を残した人(広島平和資料館に影が残る石が展示されている)と重なり、心に響くテーマだと思う。何よりも写真が美しい。「原爆」からはかけ離れた世界にも感じる。しかし、彼の写真を見た人が、その美しいヤナギの葉に心惹かれ、じつはそれが“原爆投下後に再び芽吹き、今も生き続ける木”であると知ったとき、どう感じるのか? 焼け野原に芽生えたと感動するのか、被爆した木?とぎょっとするのか。「こわい」と言った人もいると聞いた。放射線の影響を考えての発言だろう。どんな感想にせよ、「原爆」に関心をもっていただくきっかけとして、すばらしい作品だと私は思う。だからこそ、今回「一緒にクロストークをしていただけませんか?」と依頼にすぐにOK のお返事をした。

「被爆樹木について 今について 未来について 語ろう」
日時:2017年12月10日(日)
場所:埼玉県立近代美術館 3階講座室
主催:SMFアート井戸端会議

トークでは、前半で私が「被爆樹とは何か?木のそばで何が起こったか」を被爆の特徴(ヤケド痕、ウロ等)がよくわかる木々を中心に紹介、後半では浅見さんが「アートとしての被爆樹木」について語られ、残りの時間で2人の対談という流れであった。

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浅見さんとのお話はとてもおもしろかった。私自身、1人黙々と、被爆樹木を追い続ける取材のなかで感じていたことを、浅見さんも感じられていたことに、ホッとするような、勇気をいただくような気もした。

いちばんへこむ言葉として、被爆樹木を通して原爆を伝えることに対し、「軽い」「甘い」「真剣に考えていない」というご意見がある。浅見さんも個展の時などに同様のことを言われていたと知り、ああ、やはり同じような反応はあるのかと納得した。そういう心傷つく意見に対し、浅見さんがどう向き合っていったか、そんな話も聴くことができて、本当によかった。同じテーマをもつ人がいることの心強さを感じたクロストークであった。

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一方で、参加者の方々の反応は今一つというか、あまり関心を持たれなかった印象があり、またもや、へこむ。「被爆樹木」を少しずつ紹介していく、私の話の展開がつまらなかったのかもしれないと反省しきりだったが、ひと晩経って思ったのは、根本的に参加者の方々は、浅見さんのアートとしての「被爆樹木」には関心があるが、原爆から蘇った木々―被爆樹木そのものには関心がないのではないか、という思いである。被爆樹木のそばで生きてこられた被爆者の話も少ししたが、重いと感じられたのかもしれない。また、私はアートの創り手ではない。表現の仕方は様々だと思うのだが、そのことも無関心の度合いを深めたようにも感じた。

それぞれの人にとって、“身近なこと”として、被爆樹木を考えていただけるように“伝える”ことは難しい。まあ、自分の力不足なのだが。

ただ、身近なこととして、と考えると、関心のない大人たちよりも、子どもたちのほうがはるかに、身近な存在として、戦争、原爆=核兵器をとらえているように感じている。今年、都内の小学校6年生に平和授業をする機会を得たとき、ひしひしと感じた。

「ボクたち、わたしたちの未来に、戦争が起きるかもしれない。核兵器が使われるかもしれない。ボクはもしかすると、戦争に行くことになるかもしれない」

と、漠然とした恐怖感をともなって、“身近なこと”として、感じているのではないだろろうか、と。被爆樹木の傷あとの写真を見せ、原爆について話しながら、そんな真剣さが伝わってきた。この子どもたちにこそ、伝えていきたいと思う。

1日を振り返って、さまざまなことを考えた。
今までも主催者に興味をもっていただいて講演を引き受けるが、現場でアウェイ感の強いことは多々ある。「興味なし、終わり」的な対応。興味がない人に知っていただく工夫をいつも考えているが、今年はへこむことも多く、講演のたびに反省、反省。

どんな立場にしろ、講演にいらしてくださった方々に、「ああ、今日は来てよかった」と思っていただける伝え方、話の展開をもう一度考えてみようと、新たな闘志が湧いてくる1日であった。

声をかけてくださった浅見さん、SMFアート井戸端会議のみなさま、貴重な機会をありがとうございました

※撮影:SMFアート井戸端会議(浅見さんfacebookより)

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