大震災を生き延びたツバキ
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昨日3月3日、南三陸・歌津にきました。整体師のS先生がこの地で診療所を開くお手伝い、ふたたび。漁師さんの作業所をお借りしてスタートする診療所。大工仕事が得意なS先生、ベッドも床も、トイレ&その扉など、み〜んな手づくりで、着々と室内が整ってきています。私は、おそうじ、おそうじ。
今日、私のいちばん大事な仕事は看板の位置確認。診療所の名前を書くという重要な仕事をまかせていただきました
墨で、 「歌津しんせい接骨院」と書きます。がんばります!
今は、往診にくっついて、ある女性のおうちに来ています。
東日本大震災、発生当時、この辺りは孤立し、支援物資も届かず、住民の皆さんが自力で命をつなぐ復興への道をつくられた地域。避難所から仮説住宅に移行する前後、S先生がボランティアの手が足りない地域を探していて出会い、現在まで活動を続けてこられ、診療所づくりへとつながりました。当初、この辺りを一緒に車でぐるぐる回ったことを思い出しています。
当時はちっちゃな赤ちゃんだった男の子。今は、あそぼ、あそぼっと寄ってくる、抱きつく、背中に登ってくる‼︎ 来年は小学1年生です。私も復興への階段を一緒に歩いている気持ちです
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南三陸の海。
【東日本大震災ボランティア報告】
2月18(土)~19日(日)にかけて、南三陸に行ってきました。
群馬県前橋市を拠点とする「しんせい接骨院」のS先生が、南三陸で診療所を開かれるというので、部屋づくり、おそうじなど、お手伝いに
診療所は、漁師のSさんのご好意で借りられることになったそうです。ここ↓
震災直後から整体&マッサージのボランティアで福島に入り、やがては南三陸・歌津町で行ってきた、S先生。
S先生をリーダーに、約30名で活動してきた整体ボランティアグループ「チーム天真」。6年目を迎えようとする2017年、形を変えて活動を続けていくのですね。。。。
S先生のリーダーシップはすごかった。
大玉村(福島)の仮設住宅で、月2回の「健康体操&整体ボランティア」。毎回3~4名を引き連れて、仮設のみなさんとお茶飲み会も楽しみました。
大玉村での健康体操
南三陸・歌津では、約2か月に1度ペースの整体。S先生ほぼ1人で!
あ、私も、整体しました。マッサージもしました 当たり前ですが、プロにはかないません。そう、「チーム天真」って、整体師、エステティシャンなど、体を扱うプロがそろっていたんですよね。だから、みんな、うまい!私はプロのようにはいきませんが、おばあちゃんたちの手をとると、「手があったか~い。手を握っててくれるだけで気持ちいい」って、すやすや眠られたことが今でも忘れられません。
「それでいいんですよ」と言ってくれたS先生の言葉も
だから、そのご恩返しというか、南三陸までくっついて、私にできること、させていただいています。役に立ってるのかどうか・・・
2月18日、わかめ漁がスタートしたばかり。小屋の外では、めかぶの作業をなさっていました。雪がちらつくなかです。
今週末はいよいよ「歌津 しんせい接骨院」がスタートします。
保険診療、腕がよくて、やさしい整体師 S先生がお待ちしています。
南三陸・歌津地域に住んでいらっしゃる方、南三陸にお仕事に行かれる方。体調が不安なとき、体がしんどいとき、ぜひいらしてください。
くわしい住所などは、また報告します
「ここまで津波がきました」という表示。
初めて、S先生と南三陸を訪れたときの歌津の海。この美しい夕焼けを今でも覚えています。この海が多くの人の命を奪ったことも忘れてはいけないことです。
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2011年3月11日 東日本大震災から5年が経ちました。
犠牲となられた方々へ追悼の意を捧げます。
東北から遠く離れた自分に何ができるのだろう。どんな言葉が伝えられるのだろう。考え続けても、明確な答えはでません。それでも、遠ざからないで、今からできることを伝え続けていきたいと思います。
整体師のSさんをリーダーに、整体ボランティアを続けていきます。
南三陸・歌津地区の仮設住宅にて。
福島県・大玉村の仮設住宅で、健康体操&整体マッサージ。(共通の黄色いTシャツはボランティアグループ・チーム天真)
そして今、放射線被ばくについての勉強会に参加しています。放射線の木々への影響についても取材を続けていきます。
原爆と原発は表裏一体。ヒロシマ取材を続ける私が伝えられることは何か? 今はまだ模索していますが、ヒロシマからフクシマへ、これから発信していきます。
福島県双葉郡広野町 原発からの距離23.3km
津波の跡が残る町で、いつもの春と変わらず、花は咲いていました。(当時、緊急時避難準備区域。2011年4月15日撮影)
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『foomii杉原梨江子の聖樹巡礼』
第42回 東日本大震災を生き延びた木―祈りの樹
2011年3月11日、東日本大震災から5年が経ちました。瓦礫の山と化した東北の地で、かけがえのない人や大切なものを失った人々のそばで、すっくと立ち続けた木々があります。今、ここに残しておきたいと思います。「いのちの木」をめぐって、岩手、宮城、福島へ。
高田松原・墓標の樹、大船渡の三陸大王杉(岩手県)/払川の千本桂、南三陸の椿並木(宮城県)/相馬中村神社の親子杉(福島県)/かつて、松林が命を守っていた。新しい高田松原のためにetc 花の裏シンボル図艦は「忘れな草」です。
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写真:払川の千本桂(宮城県)樹齢約550年 ▽樹高:30メートル 幹周り:数十本の株立ち 所在地:宮城県本吉郡歌津町払川(2014年9月24日撮影)
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保養施設は全国で広がっていますが、こんな状況もあるようです。 福島っ子の保養キャンプ、先細り 事故から5年、寄付減り活動中止も http://kodomozenkoku-news.blogspot.jp/2015/12/blog-post.html photo : in Hirono-cho,Fukushima 2011.4.15Shooting by R,Sugihara
2月28日(日)「保養のこれからを考える会」が開催されました。
参加できませんでしたが、Eさんが勉強会の様子を知らせてくださいました。ありがとうございます。
福島の子供たちのための保養施設って、知っていますか?
放射線に汚染された土地に暮らす子供たちは、汚染されていない環境で過ごすことで、体内の放射性物質を減らすことができるとされています。山や海など屋外でのびのびと、元気いっぱいに過ごすことで、ストレスから解放され、免疫力が高まり、病気になりにくい体をつくることができると考えられています。
ジャーナリスト広河隆一さんの呼びかけでスタートした「沖縄・球美の里」の様子をご覧ください。http://www.kuminosato.com/
こちらは朝日記事より
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天神大杉(てんじん・おおすぎ)
所在地:岩手県陸前高田市気仙町 今泉天満宮
樹齢:約800年
希望の一本松から車で10分ほど、今泉天満宮のご神木。
津波によって、社殿も鳥居も石の階段も一切が流されました。
小高い丘の上、このスギの木と、口の欠けた狛犬だけが残りました。
この木も、地域の人々にとっての「希望の木」です。
残念ながら塩害で枯死し、今年伐採されることが決まったそうです。
毎日新聞ニュース「樹齢800年の大杉、無念の枯死」(2016年1月26日付)
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↑福島県大玉村・仮設住宅での整体ボランティアの様子。2年前くらい。
先週の日曜日2月14日、放射線被ばくを学習する会に参加しました。
第27回被爆学習会「3.11あのとき、双葉町でなにが起こったか」
【詳細はこちらをご覧ください】
講師は前双葉町長の井戸川克隆さん。
2011年3月11日、全町避難を自主的に実施されたことを、事故4カ月前の防災訓練にさかのぼり、話してくださいました。
“住民を護る”ために政府・県が約束していた防災計画が訓練どおりに実施されず無視されていった経過、原子力災害対策本部に事故当時も現在も当事者である町が排除された状態であること、放射線被ばくの実態など。
いちばん心にこたえたのは「ボランティアでも福島県に行かないでください」という言葉。
「あなたたちがフクシマに入るから安全だと思ってしまう。しかし、被ばく線量は今も高い」と。
現在も危険地域だということを皆が自覚し続けることが大事だと。
整体ボランティアに時々行っている話をすると、仮設住宅の地域でも「行かないでほしい」と井戸川さんはおっしゃった。そこに行くことは結果的にフクシマの人々、子供たちを苦しめることになるという考えは衝撃的で、放射線被ばくの問題の根の深さを感じました。
井戸川さんの他にも発表があり、原爆投下後から原発開発への歴史、福島県原子力防災訓練の実態(2011年11月25、26日実施)、双葉厚生病院など避難指示が届かなかった病院での患者の死の実態等、様々な視点からの報告が行われました。
東日本大震災から5年。時々、福島に整体ボランティアに行きながら、ほとんど何も知らなかったなと実感しています。こういう勉強会にはこれからも参加したいと思います。
☆上写真:大玉村・仮設住宅の集会所にて。整体ボランティアでは午前中、健康体操。午後は布団を敷いて、整体&マッサージ。以前は仮設住宅ができたばかりの頃から月2回、整体のうまい(?)友人グループ「チーム天真」で定期的に行っていましたが、資金も途絶え、人数も減り、数カ月に1~2度、都合がつく人が集まったときだけ行くようになりました。
☆下写真:大玉村・仮設住宅のそばに建てられた復興住宅。入居は抽選だそう。
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Tree of Heart for you.
いつまでも……。
何が起ころうと 光を目指して 歩いていこう。
福島県新地町「白幡のイチョウ」
樹齢約240年 樹高23m/幹周り3.8m
photo by Rieko September 2011
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宮城県石巻市・門脇地区 車に供えられた黄色い百合。その横にはパンとリンゴ。亡くなった方がお好きだったものでしょうか。(photos by Rieko.S 2011年4月)
2011年3月11日、東日本大震災発生の1カ月後の4月12日、取材のため被災地に入りました。
しーんと静まりかえった大地。人の姿が全く見えない広い大地。
何かが動いた……よく目をこらすと、たった一人男性が何かを探していました。
音は聞こえません。そのときの静寂が体に沁みわたっています。
あまりにも静かな、静かすぎる……沈黙の大地を、穏やかな海を。
その人が探していたものは大切な誰かでしょうか。
果てしないがれきが続くひろいひろい荒野で、果てしない時間を独りで。
今はもう、その人は探し物を見つけたでしょうか。
震災直後、たくさんの本が出版されました。私はひと言も書けませんでした。もしかすると、残された人たちに少しでも元気になっていただく言葉があったかもしれないと今後悔しています。言葉をつづる勇気がありませんでした。
どんな言葉もむなしく感じて、自分がどんなに幸せな場所にいるか、気楽かを感じてばかりいました。それは今もあまりかわりはありません。
震災直後から支援のために作られ販売されていたキャンドル「ほたてあかり」。昨年3月11日、宮城県・田の浦にて。(photos by Rieko.S 2012年3月)
整体師の友人が昨日まで、南三陸の仮設住宅へ整体ボランティアに行っていました。彼は今でも被災者の方々を元気づける存在でいます。
先月は福島の大玉村の仮設住宅へ、私も彼について、友人2人と一緒に行きました。20人くらいの方と健康体操で大きく体を動かして、お茶して笑って話して、午後はおばあちゃんにマッサージをしました。肩と首が痛いとおっしゃったので、ゆっくり優しくほぐしてあげたら、「ありがとう、楽になりましたよ。また来てね」って帰って行かれました。
今の私にできることはほんの小さなことしかないけれど(こう、ずっと言い続けているけれど)、これからも心にとめて、出かけて行きたいと思います。私たちは現実を生きているのだから、できることがあるならば。どんなにTOKYOが東北を忘れかけても……。
自然に還っていった人たちに、安らかな眠りを、心から祈っています。
宮城県南三陸・田束山のふもとのご神木。
川のすぐそばに立つ桂の木(photos by Rieko.S 2011年9月)
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